
名古屋/信州1泊2日の旅、2日目になります。2025年9月の出来事です。1日目は以下になります。
2日目は昼神温泉から北上して伊那市、諏訪市と立ち寄りながら東京に帰ります。走行距離は302kmでした。

[06:00] 昼神温泉朝市
宿泊していた 昼神温泉 癒楽の宿清風苑【公式サイト】 から、朝食の前に昼神温泉の名物ともなっている朝市へ徒歩で向かいます。

それにしても、気持ちの良い朝です。

阿智川のほとり、年中無休の朝市は昼神温泉の風物詩です。地元産の野菜や果物をはじめ、山菜やきのこなど旬のものを販売しています。
朝の早い時間からかなりの人が訪れていました。果物、野菜、地元の食べ物、小物類などなどいろいろなものが出ています。

果物や野菜が本当に安いです。今回は車で来ており、クーラーバッグも持参していたため、重さを気にせずかなりの量を買い込みました。

朝市を楽しんだ後、川沿いをホテルに戻ります。昼神温泉の中央を抜ける阿知川の両岸に多くのホテルが並んでいます。

[09:10] 信濃比叡 廣拯院 (こうじょういん)
少し西に戻り、比叡山延暦寺の流れをくむ天台宗 (てんだいしゅう) の仏教寺院である信濃比叡 廣拯院を訪れます。

この寺の始まりは、天台宗の開祖である伝教大師 最澄(さいちょう)が東山道(とうさんどう)の難所である神坂峠(みさかとうげ)を越える際、旅の安全や人々の苦難を思い、無料の宿泊所(布施屋)を作ったことにあるとされています。本堂でお寺の方がお寺の歴史などの説明を行ってくれます。
最澄上人の像が迎えてくれます。

足元には羅漢(お釈迦様の弟子)像が並んでいます。とてもユーモラスな羅漢もあり、悟りを開きながらも人間味を感じさせる姿ですね。

立派な門です。

本堂の手前に鐘堂があります。一般の方でもつくことができます。

鐘堂の横にあるかわいい像です。修行僧の小僧さんでしょうか。

本堂です。お参りしていきます。

中に入れます。素敵な花天井です。

また、本堂には、比叡山延暦寺に最澄の時代から燃え続ける「不滅の法灯」が分灯されており、観ることができます。
季節によって変わる御朱印も有名みたいです。
廣拯院はその寺の始まりからもわかるように高台にあります。本堂で標高850mらしいです。気持ちの良いところですが、凄い場所に建てたものだと感嘆します。
夏のこの景色も素晴らしいですが、春の阿智村は花桃が有名です。ぜひこの季節にも訪れてみたいです。

トップ | ヘブンスそのはら公式サイト の駐車場も見えました。こんな近いんですね。
お寺で「美しい白蛇がいるのでぜひ見て行かれた方が良い」とお勧めされたため、廣拯院からの帰り道、坂を少し下ったところにある信濃比叡 門前屋さんに立ち寄りました。

写真は撮れませんでしたが、ここには「白蛇様」がいらっしゃいます。本当に真っ白で美しい蛇です。しかも2匹も。
ある日門前屋の前に現れた白い蛇。 これほど美しい蛇は初めて見たと評判を呼び、 白蛇様として大切に奉られ、飼育されています。 大辨財天人頭蛇尾宇賀神の使いと言われる 白蛇様を参拝するお客様が大勢訪れています。

[11:30] 長野県伊那市 高遠城址公園
伊那市にある高遠城址公園を目指して北上します。

「日本一の桜」と言われる高遠城址公園。桜の時期に訪れるのが良いのだと思いますが、真夏の訪問です。
高遠は、信濃と甲斐を結ぶ要衝に築かれた山城で、日本100名城の一つです。 武田信玄の時代にはその勢力下に入り、信濃防衛の重要拠点となっていました。 1582年の「高遠城の戦い」において、信玄亡き武田方は織田信長・徳川連合に敗れ、城は陥落し、武田氏滅亡へと繋がりました。
今は上物はほとんど残っておらず、城のあった場所が公園になっています。桜の頃は賑わっているのかもしれませんが、夏に訪れると普通の山の上の公園という感じだなぁというのが当時の感想でした。しかし、今思えば、ちゃんと勉強してから行くべきでした。上物はありませんが、城の構造がそのまま残されており、本当はもっと楽しめたはずでした。

例えば、上の写真は「勘助曲輪」の説明です。とりあえず写真に撮っておいたのですが、後でこの説明が何を意味しているのか理解しました。
「曲輪(くるわ)」は城の中を区切った“囲い・区画”のことです。
お城は、防御のためにいくつもの区画を段々に配置した要塞構造になっており、その一区画ごとのエリアを「曲輪」と呼ぶそうです。
ただの広場が続いているように見えていましたが、それぞれの区画に意味があるようです。
「曲輪」の間には空堀が残っており、ここに落ちたらやられるだろうな・・・という感じです。
「曲輪」→ 急斜面で下る → くぼみ(空堀)に敵が溜まる → 上の「曲輪」から総攻撃・・・恐ろしい限りです。
実はこの高遠城を訪問した頃は、城のことをあまりよく分かっていませんでした。今改めて高遠城のことを調べてみると、確かにこの「曲輪」と空堀の構成が綺麗に残っている城跡だったのだと思い返されます。空堀の方へ降りることもでき、実際に降りてはいるのですが、その時はその空堀の意味をそこまで理解しておらず、写真すら残していません。無知は楽しみを奪いますね。以後気を付けます。
本城跡から望む伊那市です。木が多くてすっきりとした視界とはいきませんが、ここから見る山並みは昔も今もそう大きくは変わらないのではと思うと感慨深いです。




今回の旅行では信州、諏訪での移動は高速道路ではなく下道を利用しましたが、この辺りの歴史を思い起こしながら地形を感じることができ、時間が許せば下道での旅行も趣深いものだと感じました。

中央自動車道も同様ですが、この辺りの地形を考えると、西から武田の本拠地である甲府を目指すには、この伊那の高遠を抜けて諏訪から入らなければならない状況となります。 地形を見ると高遠城が要所だったことがよくわかります。
時間的にはお昼時でしたが、高遠の街で名の知られた食事処はどこも大混雑でした。 ホテルで朝食をしっかり食べていたため、時間的にはまだ持つだろうということで、諏訪の街でお昼を食べることにし、諏訪まで移動することにしました。

伊那から諏訪へ抜けるのに国道152号を利用しましたが、この峠から見る諏訪の景色は素晴らしいものでした。そのまま素通りしてしまいましたが、車を止めて写真を撮るべきでした。後悔しています。
[13:30] 蔵元ショップ セラ真澄 (宮坂醸造)
お昼に向かっている途中、車内で「おおっ!」という声が響きました。 私はお酒が飲めないため、店の名前を聞いてもピンときませんでしたが、真澄は有名なようで、息子が「これは!」と反応したため、立ち寄ることになりました。
セラ真澄について
物質的な豊かさの陰で心の疲れを感じさせる出来事が目立ち始めた1990年代中頃、私はたまたま目にした新聞記事から、様々な問題の根源に実は「食卓の崩壊」があるのではと疑う様になりました。以来事あるごとに、――週に二度は家族や友人と長い夕食を楽しもう。作り手の真心がこもった料理や器で心へ栄養を注ぎ込もう。そしてテーブルに人と人を結ぶ上質な食中酒を置こう。――と訴え始めたのです。
1997年、この延長線上に誕生させた蔵元ショップがCella MASUMIです。食卓に集う人々を和ませる品々、造り手の真心がこもった品々、私たち自身が日々愛用している品々を揃えて、日本酒文化の素晴らしさと、和やかな食卓の大切さをお伝えしています。
試飲できるスポットがあり、私はお酒が飲めないため、様々な種類の甘酒を嗜んでみました。



[14:25] そば処 とみや (に行きたかった)
とても人気のあるお蕎麦やさんということで、はるばる高遠からここを目指してきたのでした。 この時間であれば、そこまで並ばなくても良いだろうと思いつつ、外から店を見るとまだ並んでいる人たちが見えました。
先発隊として息子に様子を見に行ってもらったところ・・・残念ながら、14:30までの営業で、もう終わりになるとのことでした。
予定外に真澄に立ち寄ったのが命取りとなりました。
残念ですが、次の機会に訪れることにして、今回は近くの上諏訪駅の近くで軽く昼食をとることにしました。
[15:20] 帰宅の途に
この時間に諏訪から東京に向かって中央道を進みます。この時間になると、いつものように大渋滞です。大月で高速を降りて、県道35、517号を使って帰ります。
この経路は昔から中央道が渋滞の際に利用している道ですが、ある時期からこの道も混むようになってきました。 噂によると、Google Mapが迂回路としてこの道を経路に表示するようで、一度、国道へ出る田舎の狭い道が大渋滞になっていたことがありました。 この日は普通に抜けられましたが、東京の人口を考えるとこの中央道の渋滞は致し方ないのでしょうか。
運転手の立場としては、午前中に中央道上りの八王子ICを抜けたいという思いがあるのですが、周りの方々がそれを許してくれません。 迂回路といっても皆さん同じ方向に向かっていますので、なかなかスムーズに迂回できる道もないですね。
[19:20] 帰宅
1泊2日の旅を終えると、いつも思います。1泊では短いと。最低でも2泊あると嬉しいのですが、仕事もありますので、ゆったりとした旅行はもう少し年を取ってからでしょうか。