第2の人生の構築ログ

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スペイン バルセロナ訪問 サグラダ・ファミリア編

出張でスペインのバルセロナを訪問しておりました。スペインは初訪問です。いやぁ、遠いですね。。なかなか頻繁に来られるところでもありませんので、出張日程の隙を細かくついて名所と言われるところに幾つか足を運びました。

バルセロナと言えば、私の中では「自然を師とした天才建築家」ガウディが半生涯携わったサグラダ・ファミリア、ピカソ、そして FC バルセロナです。


We build tomorrow | Construïm el demà | Construimos el mañana

今回はサグラダ・ファミリアのことを書きます。やはり写真/映像で見るのと生で肉眼で見るのとでは大違いです。生で触れて完全に心を掴まれてしまいました。帰国後もガウディさんのことをよく考えています。ちなみに、「サグラダ・ファミリア」をサグラダさんち(家)、的な意味で当初捉えていた自分が恥ずかしいです。。ラテン語でサグラダは"聖なる"、ファミリアが"家族"、イエス、聖母マリア、養父ヨセフを加えた聖家族に捧げる聖堂という意味らしいです。

バルセロナの観光地に向かう際には事前に予約が必要なものが多いです。サグラダ・ファミリアも例外ではなく、数日前でも目的とするチケットを抑えらないことがありますので、余裕を持ってチケットの予約を入れておくことをお勧めします。

sagradafamilia.org

外からだけでなく中にも入りたく、かつ、棟にも登りたかったので、"SAGRADA FAMILLIA WITH TOWERS" 32€でいきました。

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「生誕のファザード」です。

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これ石なんですよね・・・サグラダ・ファミリアは1882年に着工、翌年1883年にガウディに引き継がれています。未だ完成していない聖堂ですが、ようやく2026年に完成の目処がたってきたようです。ガウディが生前実際に担当できたのはこの「生誕のファザード」の一部と「地下聖堂」になり、不慮の事故で亡くなったガウディですが、当初から自分の生涯での完成は見込んでおらず、この「生誕のファザード」にこの後の建設のモデルとなる要素を含めていたと言われています。

神は完成を急がない。

諸君、明日はもっとよいものをつくろう。

ガウディの言葉です。いつの時代に、誰に見られたとしても恥ずかしくない仕事をしたいものですね。

さて、建物ですが、もう、凄いの一言で圧巻です。装飾はもちろんなのですが、建物を見ていて気になったのは、まだコンピュータのない時代にこのような曲線、曲面、支柱が極端に少ない建築構造をどのように導き出したのか、という点です。また、19世紀の後半から20世紀の前半といったら、コンクリートで建物が建っている時代です。なぜ石で作る必要があったのか。

今後詳細はいろいろ調べてみたいと思っていますが、まず前者に関して、ガウディの設計手法は独自の構造力学的合理性に依るもののようです。それは自然界からヒントを得ていると言われます。そして、全て彼の模型を使った実験によって裏付けされており、有名なのはカテナリー曲線そのものである「逆さ吊り模型」です。この実験に10年をかけたという話です。頭が下がります。

ちなみに、ガウディの建築は曲線ばかりと言われていますが、それは作り手からすると誤解らしく、主に直線で構成されているそうです。曲面はあっても曲線はあまりなく、双曲線面、放射線面といった幾何学を有効に使っているそうです。(彫刻家 外尾さん談)

後者の何故石なのかについては後で触れる外尾さんの本に解釈がありました。敢えて石、というか、ガウディからしたら石でないといけなかったのですのね。

ieiri-lab.jp mano.cat

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「生誕の門」から内部に入りますが、「はっと息を飲む」という表現はこういうときに使うのかなと思いました。自然に倣い、建築にも利用するガウディの光の使い方、建物を支える木のような支柱、建築合理性と装飾をこのようにマッチングさせられるガウディ。何という人なのでしょうか。何時間でも居られそうな場所です。
帰国後、外尾さんの本を読んだのですが、外尾さんはこう表現していました。

ガウディの天才性の一端は、機能とデザイン(構造)と象徴を常に一つの問題として同時に解決していることにあると思います。

ガウディの伝言

ステンドグラス越しの太陽の光。「受難のファザード」側にある階段に漏れる光。インスタグラマー(?)の撮影会が多く行われていたのは少し興醒めでしたが、、、確かに写真も撮りたくなる場所ですね。

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「WITH TOWER」のチケットでしたら、棟に登ることができます。エレベータは2カ所あり、若干回る経路が異なるようです。私は「生誕の門」の側のエレベータで上り、螺旋状の階段を降りてきました。

棟の間にかかった橋で棟を横断します。とても良い景色なのですが、自分が高所恐怖症だということをうっかり忘れておりました。若干背筋と腰のあたりが寒い思いをします。

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橋を渡った後の棟の内部の上、下です。ホントに放物線状の石の積み上げになっています。この棟には鐘の音が遠くまで届くような工夫もされているようです。ガウディの構想の中にはサグラダ・ファミリア全体を楽器にするということも含まれていたそうです。いやいやもうついて行けません。。

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棟の階段を降りていきます。

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出窓のようなものが数カ所にあります。好きな人はこの先に行って下をのぞき込み楽しんでいるのですが、高所恐怖症の私をこれ以上先に進むことはできません。。 更に面白い形状の螺旋階段を降りていくと聖堂に戻ってきます。

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今回「生誕のファザード」側から入館し、「受難のファザード」側から退館しています。

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上の写真は「受難のファザード」にある「ユダの接吻」ですが、その左側に 4x4 の不思議な数字の升目があります。これは縦、横、斜め、どの角度から足してみても全て33になるという数字の並びです。33はキリストが磔にあった年齢にあたり、宗教的に重要な意味をもつ数字とされています。(そういえば、長嶋監督が一時期背番号に33を使っていましたね。あれは単に3を2つ並べて特に大きな意味はなかったような・・・) 確かに面白い数字の並びですが、何故こんなものをこの場所に残したのでしょう・・・

サグラダ・ファミリアに置いてある公式のガイドです。

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実はこのサグラダ・ファミリアの彫刻には日本人の外尾 悦郎さんも携わっております。"ちょっと携わっています"、というレベルではなく、主任彫刻家で「生誕の門」には外尾さんの作品が多く使われています。現在進行中の「イエスの棟」の構築では棟の内部をデザインする「芸術工房監督」です。

音声ガイドを聞いて初めて日本人が携わっていることを知ったのですが、ここまでの主要メンバで携わっていることを露知らず、サグラダ・ファミリアを訪問する前に以下の本を読んでおくべきでした。遅ればせながら今読んでいます。。とても良い本です。サグラダ・ファミリアのこと、ガウディのことをここまで書けるのは、40年近く(この本を書いたときは28年間)サグラダ・ファミリアを修復してきた外尾さん以外にはいないと思います。

ガウディの伝言 (光文社新書)

ガウディの伝言 (光文社新書)

時間的な制約もあり、約2時間ほどの訪問となったのですが、全然時間が足りませんでした。もっとじっくりとゆっくりと中を見ていたかったです。通常あまり使わないのですが、音声ガイドは絶対使った方がよいと思います。(日本語もあります。)

私はクリスチャンではありませんが、同行していた1人が敬虔なクリスチャンで音声ガイドにもなかった背景を補足してくれたのは非常にラッキーでした。現地の人間ではなく同じヨーロッパ ベルギーの人間なのですが、表記されているガイドなどで使われている単語の意味が専門的で理解し難い(仏教徒の日本人にとって)ものが多いところを大概のことは背景含めて説明してくれます。やはり聖書を読んでいる読んでいないのではこの建築の奥深さの味わいレベルに差が出てしまうなぁと思っていました。

是非再訪したい場所で、今度行くときには、聖書と外尾さんの本もきちんと読んでおきたいと思います。次は・・・まだ建築中ですので、完成後でしょうか。

サグラダ・ファミリアはここまでです。バルセロナでは他にも訪問しておりますので、引き続き書いていこうと思います。